熊野古道 中辺路の見所熊野古道周辺の観光情報

見所ポイント

滝尻王子

五体王子のひとつ。この王子から熊野の霊域に入るとされ、ここに着いた
参詣の人々は川でみそぎをして体を清めました。また、社前では経供養や
里神楽が行われました。
後鳥羽上皇は熊野御幸の際、この王子社でたびたび和歌会を開きました。
正治2年(1200)の御幸の際の和歌会で上皇が自詠自筆した熊野懐紙11葉が
分散して現存しています。
この社に神宝として伝わる黒漆小太刀は国の重要文化財です。

熊野古道館

熊野古道を中心とした観光案内と歴史紹介を兼ねた休憩施設。
熊野懐紙や古道周辺の埋蔵品などの展示の他、グッズや陶芸作品の販売も
行っています。

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牛馬童子像

中辺路の箸折峠にある像高約50cmの石像で明治時代に作らたれたものです。
その名の通り牛と馬の2頭の背中の上に童子がまたがっている像で、一説に
延喜22年(922)に熊野御幸を行った花山法皇の旅姿を模したものと
言われています。
この石像のある箸折峠の丘は、花山法皇が御経を埋めた場所とも伝えられ、
この地で法皇が休憩をとり、食事をするためにカヤ(萱)の軸を折って
箸代わりに使ったという言い伝えから箸折峠という名前がついたと
されています。
なお、近露という地名も、法皇がカヤを折った際、カヤの軸の赤い部分に
露が伝わるのが血のように見えたことから「これは血か露か」と
尋ねられたのが由来になったと伝えられます。

近露王子

王子の中で創建が最も古いもののひとつで、鎌倉時代末に著された
『熊野縁起』には、五体王子に次いで格式の高い准五体王子のひとつに
挙げられています。
参詣者はすぐそばを流れる日置川でみそぎをするのが習いで、院政期には
日置川をはさんだ対岸に熊野御幸のための御所が置かれました。後鳥羽上皇は
ここでも和歌の会を開いたと伝えられます。
明治時代末には神社合祀で廃社になったため、境内にあった杉の巨木も
伐り払われ、今は自然石に「近露王子之跡」と刻んだ碑が昔日の面影を
伝えています。

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継桜王子

地元の野中地区の氏神としても崇敬されている王子です。
社殿は石段を上がった高所にあり、境内の斜面には県指定天然記念物の
「一方杉」の巨木が約10本そびえています。
社名はその昔、境内前に植わっていたという桜の名木「継桜」に由来します。
「秀衡桜」の名でも知られるこの桜は代々植え継がれてきて、現在は
社殿から東へ約100mのところで、春には満開の花を咲かせて
古道を行く人の目を楽しませています。
王子前の断崖下には日本名水百選の「野中の清水」があります。

野中の清水

継桜王子近くの崖下から湧き出る清水で、熊野詣の旅人の喉を潤しました。
日本名水百選のひとつです。

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発心門王子

五体王子のひとつ。明治時代末の神社合祀で廃社になり社殿が移築された際に
王子神社遺址の碑が建てられました。現在の社殿は平成2年(1990)に再建
されました。
かつてこの王子社は熊野本宮大社の入口とみなされており、平安時代に
記された『中右記』の天仁2年(1109)の参詣記には、この王子社の
鳥居の前でお祓いを受けてから参詣した様子が記されています。
なお、後鳥羽上皇の参詣の様子を記した『後鳥羽院御幸記』には、
藤原定家が社後の尼南無房宅に泊まったという記述がみられます。

熊野本宮大社

かつては大斎原のある熊野川の中州に鎮座していましたが、
明治時代に水害にあい、流失をまぬがれた社殿三棟を現在地に移して
再建されました。

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熊野古道周辺の観光情報

「熊野古道中辺路(口熊野・田辺~熊野本宮大社)」の古道歩きコースに関するPDFがダウンロード出来ます。
「田辺市熊野ツーリズムビューロー」のホームページへ